【スタートアップ企業編】『未上場企業におけるコーポレートガバナンス提言書』の考察− Exit を見据えた戦略的ガバナンス構築

【スタートアップ企業編】『未上場企業におけるコーポレートガバナンス提言書』の考察− Exit を見据えた戦略的ガバナンス構築

デジタルキューブ 取締役 / 公認会計士・税理士 和田 拓馬

2025年12月、一般社団法人日本取締役協会が「未上場企業におけるコーポレートガバナンス提言書」を公表しました。この提言書では、未上場企業を3つの類型に分類し、それぞれに適したガバナンス強化策を提示しています。

【参考】未上場企業におけるコーポレートガバナンス提言書(2025年12月5日)

本コラムでは、提言書が示す「スタートアップ企業」の特徴と課題を踏まえながら、TPM 上場を目指すスタートアップ企業に必要な「ミニマムガバナンス」の実践方法を解説します。提言書では、スタートアップ企業を「短期間での急速な成長を志向し、Exit を明確に想定している未上場企業体」と定義しており、創業初期からの外部株主との関係や急成長がもたらす特有の課題に焦点を当てています。

私自身、デジタルキューブの CFO として TPM 上場準備を進めた経験から、「ガバナンスは成長のブレーキではなく加速装置である」という提言書のメッセージに強く共感しています。

スタートアップ企業におけるガバナンスの特殊性

なぜスタートアップにガバナンスが必要なのか

提言書では、スタートアップ企業の最大の特徴として「初期からの外部株主の存在」が挙げられています。エンジェル投資家やベンチャーキャピタル(VC)といった外部株主の資本を受け入れることで、経営の意思決定には必然的に外部との合意形成や株主間契約に基づいた承認・協議が必要となります。

特に重要なのは、シリーズ A 以降の資金調達において、コーポレートガバナンスの欠如が資金調達時のノックアウトファクターとなることすら珍しくないという点です。種類株、ストックオプション、ドラッグアロング等の各種権利がガバナンス設計に直結しており、経営指標の開示、社内の意思決定体制、監査プロセス等、資本市場へのデビューを見据えて相応の透明性が早期から期待されます。

つまり、スタートアップ企業は構造上、株主資本主義や外部からの視線との距離が近く、健全なガバナンス体制の整備が事業成長に直結する環境にあるのです。

スタートアップ特有の4つの構造的特徴

提言書では、スタートアップ企業のガバナンスを考える上で重要な4つの構造的特徴が指摘されています。

自律的な集団
スタートアップ企業が急成長を実現する最大の源泉は、その自律性にあります。外部株主からのプレッシャーによって成長するのではなく、自ら立てた数値計画を自らの手で達成しようとする動機が根底にあるからこそ、急成長が実現します。高い目標を掲げる以上、計画が未達に終わることも少なくありませんが、それを受け入れ、計画を再構成できる「内発的なコーポレートガバナンス文化を持つ自律的な集団」がスタートアップ企業の特徴です。

リベラルなカルチャー
2000年代以降のインターネットを主軸とするスタートアップ企業においては、リベラルな経営思想がコーポレートカルチャーの根幹となり、それを基にした MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)が設定されるケースが多く見られます。これらは結果的にコーポレートガバナンスに好影響をもたらしてきた歴史があります。

組織と資金量のギャップ
一方で、提言書は課題も指摘しています。急速な成長になればなるほど、未成熟なマネジメント体制のまま VC から多額の資金を受ける構造が存在します。新しい領域であるが故に若い起業家・経営陣も多く、資本効率の考え方やキャピタルアロケーションの基礎が身に付く前に多額の資金を扱うケースが散見されます。メディアを騒がせるような横領事案も散発的に発生しており、時には刑事事件に至るものもあります。

失敗事例の共有不足
スタートアップ業界は構造的にポジティブバイアスに傾きやすく、失敗や崩壊の経緯が正面から語られないまま埋もれていきがちです。その結果、コーポレートガバナンス不全による組織崩壊や株主間のトラブルといった負の事例の学習機会は広がらず、同じ轍が繰り返されやすい状況にあります。

「ミニマムガバナンス」の実践

提言書では、業界全体でコーポレートガバナンス=上場準備の話として後回しにされる傾向が根強いことを指摘しています。スタートアップ企業の健全なスケーリングと、経営陣・従業員・投資家の信頼関係の構築を両立させるには、制度的なガバナンスを「初期から、小さく、確実に」導入していくことが鍵となります。

提言1:創業初期からの基盤整備

提言書では、スタートアップ企業向けに「ミニマムコーポレートガバナンスチェックリスト」が提示されています。これは上場準備のための厳重なガバナンスとは異なり、経営の透明性と説明責任を確保するための最低限のルール整備を意味します。

組織・意思決定体制
経営トップ以外が重要な意思決定に関与できる体制を整備することが第一歩です。経営会議等を定期開催し、議事録を作成・共有します。また、株主間契約等に記載された権利義務を定期的に確認・履行することで、外部株主との健全な関係を維持できます。
私が自社の上場準備で実感したのは、議事録の作成が単なる形式ではなく、意思決定の質を高める効果があるということです。記録に残すことを前提とすると、議論の精度が自然と上がります。

内部統制・コンプライアンス
会計の基本ルールを定め、財務三表を月次でレビューし、資金の出納を適正に管理します。締結した主要契約(業務委託契約、雇用契約、知財関連契約)をすぐに閲覧できる体制を整備することも重要です。
また、弁護士・会計士・社労士等、外部専門家の相談窓口を確保しておくことで、問題が発生した際に迅速に対応できます。スタートアップ企業では社内に専門家を抱える余裕がないため、外部リソースを効果的に活用する設計が現実的です。

情報開示・透明性
情報開示に関するポリシー(ファクトレビューのフロー・開示範囲・タイミング等)を定めます。提言書では、開示にあたって高いインテグリティとファクトレビューが不可欠であると指摘されています。
開示情報が一人歩きし、発信内容そのものがヒトとカネを惹きつける時代になりました。財務情報や主要 KPI の開示にあたって高いインテグリティを持つだけでなく、それらの数値をファクトレビューする機能を備えることが必須です。社内では監査役などがその役割を担うのが望ましいですが、初期段階では必ずしもその限りではありません。重要なのは、「誰かが数字の裏を確認している」状態をつくることです。

提言2:スピードとガバナンスの両立

最小限のルールで最大限の効果を
スタートアップ企業の最大の武器はスピードです。しかし、ガバナンスの整備がスピードを阻害するのではないかという懸念を持つ経営者も少なくありません。
重要なのは、最小限のルールで最大限の効果を得る設計です。過度な形式主義に陥らず、実質的に機能する体制を構築することで、スピードとガバナンスは両立できます。例えば、全ての契約書を法務チェックするのではなく、一定金額以上や特定の契約類型のみをチェック対象とするといった工夫が考えられます。

TPM を見据えた戦略的準備
東証が TPM を「一般市場上場とその後の成長を目指す企業が集う市場」と再定義し、ステップアップ企業の準備期間中央値が2年1か月であることを考えると、TPM 上場を視野に入れた時点から計画的な体制整備を始める必要があります。「後で整備すればいい」という先送りではなく、早期からの取り組みが重要です。
ただし、全てを完璧にしようとすると準備期間が長期化してしまいます。「TPM 上場時点で最低限必要なもの」と「一般市場移行までに整備すればよいもの」を区別し、段階的に体制を強化していくロードマップを描くことが重要です。

提言3:失敗から学ぶ文化の醸成

業界全体での知の共有
提言書では、VC・アクセラレーターを軸にした業界全体での知の共有が提言されています。国内のスタートアップ業界では、グロースの方法論や資金調達の成功パターン等、事業成長に直結するノウハウは活発に流通していますが、ガバナンス不全に起因する失敗事例は共有・検証されることがほとんどありません。
この15年ほどで VC やアクセラレーターは大きく存在感を増し、数多くの投資から豊富なプラクティスを得ています。彼らが定期的に開催しているカンファレンスやプログラム等を通じて、失敗事例も含めたプラクティスが共有される機会を増やすことが、業界全体の成熟につながります。

「ちょうどいいガバナンス」を評価する文化
提言書では、適切にガバナンスを実装しているスタートアップ企業を、投資家・採用市場・メディア・コミュニティなどが明確に評価する文化が必要であると指摘されています。
この文化の醸成には業界全体の認識転換が必要ですが、最終的には、こうしたスタートアップ企業にこそ優秀な人材(ヒト)が集まり、投資家からの引き合い(カネ)が強くなるという明確な因果関係が形成されていくことが望ましい状況です。コーポレートガバナンスは信頼のためのブースターなのです。

デジタル化によるガバナンス効率化

スタートアップ企業にとって、限られた人員で効率的にガバナンス体制を整備するには、クラウドツールの戦略的活用が不可欠です。タスク管理と進捗の可視化、規程類のバージョン管理と共有、リモートでの外部専門家連携など、デジタルツールを活用することで、物理的な制約を超えた体制構築が可能になります。

特にシード期やアーリー期のスタートアップでは、専門人材の採用に充分な予算を割けないケースが多く見られます。適切なツールを活用することで、経理担当者と外部専門家の組み合わせでも、必要な管理体制を構築することが可能です。提言書でも「ガバナンス強化=コスト」という誤解を超えることの重要性が指摘されていますが、デジタル化により、限られたリソースでも効率的に準備を進めることができるのです。

また、クラウドベースのシステムであれば、リモート環境でも専門家との連携がスムーズに進みます。証券会社や監査法人ともオンライン会議で効率的にコミュニケーションを取ることで、場所を問わず質の高い準備が可能になります。

まとめ:スタートアップこそガバナンスで差をつける

日本取締役協会の提言書は、「ガバナンスは成長のブレーキではなく加速装置である」というメッセージを発信しています。これは、特にスタートアップ企業にこそ当てはまる真理です。

スタートアップ企業は、その構造上、外部株主との関係が密接であり、透明性の高い経営が求められます。この特性をネガティブに捉えるのではなく、むしろ成長の追い風として活用することができます。初期からの適切なガバナンスの実装が、採用力と資金調達力を強化し、持続的な成長を支える基盤となるのです。

提言書が提示する「ミニマムコーポレートガバナンスチェックリスト」は、スタートアップ企業が最低限整備すべき項目を明確に示しています。組織・意思決定体制、内部統制・コンプライアンス、情報開示・透明性という3つの観点から、シンプルで実効性のある体制を構築することが、スピードを損なわずにガバナンスを強化する鍵です。

TPM ステップアップ企業の準備期間中央値2年1か月という数字は、早期からの戦略的準備の重要性を示しています。「初期から、小さく、確実に」導入することで、TPM という助走路を最大限に活用し、次のステージでの成長を実現できるでしょう。

昨今の事例を鑑みるに、スタートアップ業界が持続的に進化していくためには、事業の面白さや成長性だけでなく、「どのような組織でそれを実現しているのか」が問われる時代がすでに始まっています。今スタートアップ業界がガバナンスを軽んじれば、未来の優れた経営陣は育ちません。問われているのは、経営陣一人ひとりの自覚だけでなく、業界全体が、どのような組織運営を「当たり前」として捉えていくのかという、私たち全員の選択です。

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